ヌーブラと猫の毛
子猫を拾った。彼女は茶、黒、白が混ざった毛の色を持っていて、スズメみたいだったから名前はスズメちゃん。私が小学校の頃の話だ。
やんちゃな子。野良だったから臆病で、他人が家に来たらいつもタンスに隠れて出てこない。
私は彼女がかわいくてかわいくて、ついついかまいすぎる。すやすや寝ていてもわざわざ自分の布団に引っ張り込んでしまうので、いつの間にか彼女から「面倒くさいなー」という視線を浴びるようになり、一緒に寝てくれなくなった。
母のことが一番好きなようで、母の首に両手を回してグルグルと喉を鳴らすのだが、私はそんなことしてもらったことがない。
一度だけ、母が入院して家にいない時にだけ「しょうがないからお前でいいや」とでも言いたげに、のそっと私の膝にのり首に両手を回してきた時は嬉しかった。
母と二人暮らしなので、選択肢は私だけだったようだ。
スズメはとっても細くて軽い。
少ししてから黒猫ちゃんも家族に加わった。まんまる太った彼はスズメとは全く反対の性格で、誰にでも懐く鈍感おばかだから、それから私の膝やお腹の上にはいつも彼がいることになって、余計にスズメは母の隣にばかりいた。
スズメはだいぶおばあちゃんになった。私より小さかったくせに、いつの間にか私より大きくなった彼女。
スズメを拾ってから、いつのまにか20年が過ぎていた。私は日本に住んでいないので、猫達は母と暮らしている。
口には出さなかったけど、私はひっそりと、いつかスズメが死んでしまう日がやって来るのを恐れていた。彼女は相変わらず元気だけど、拾ってから今年で17年、18年だと思う度に、いなくなることを考えたら悲しくてしょうがなかった。
でも私は安心していた。もう彼女と遠く離れて暮らしているから、彼女の死を目の当たりにしなくてすむと分かっていたからだ。
もしスズメがいなくなっても、私はそのとてつもない寂しさを隣で実感することはない。実感するのは母だけだ。
母には申し訳ないが、私はスズメがいなくなるのを絶対に見たくなかったのだ。
「飼い猫の死に際に会いたくない」なんて言ったら薄情に聞こえるだろうが、海外に住むことになって、スズメが老いて衰弱していく姿を見なくていいことに心からほっとしてしまった。
たまに母と電話するが、おばあちゃんスズメは病気もすることもなく、変わりないと聞いていた。
でも、スズメはいなくなった。20年も生きたスズメ。仕事中に母からメールが来て、スズメが死んだと知った。いつ死んでしまってもおかしくないと分かっていたけど、悲しくて涙も鼻水も止まらなかった。
2年ほど前日本に帰った時は、私が買ってきたカラムーチョをこっそり盗むくらい元気だった。老衰だった。
後日母と電話したら、動物霊園の方たちに引き取りに来てもらったらしく、スズメはお花がいっぱいに入れられたの小さな箱に入っていったらしい。
箱は母が急遽用意したもので、「養命酒」とかかれたダンボールだったらしい。なんかマヌケで笑けた。
そしてスズメの死からだいぶ絶ってから、私はフロリダ州のある町に旅行に来た。
夏真っ盛りのこの街。海の帰りに水着のままでホテルに帰り、風呂場で水着を脱いだら、スズメがいたのだ。
日本から持って来たヌーブラを焼けた肌から引っぺがすと、内側の粘着部分にスズメの茶、黒、白のしましま模様の毛が2本、くっついていた。
実家にいた時は、よくあることだった。服や持ち物に彼女の抜けた毛がひょろっとついている日常。
そういえば、昔、「スズメが死んだら、あとから家中にちらばる彼女の抜けた毛を見つける度に悲しくなるね」と母と話したことを思い出した。
実家のタンスにずっと入れっぱなしだったヌーブラ。引っ越しする時に実家から持ってきたヌーブラを使ったのはこの旅行で初めてだった。
スズメはタンスによく入っていたから、きっと粘着部分のベタベタの上に座ったのだろう。
ねこはくっつくものが嫌いだから、ヌーブラの上に座ってしまった時のスズメはさぞかし焦っただろうな、と日本から遠く離れたアメリカの安いホテルの風呂場で細いスズメの毛を持って立ちつくし、元気でね、とつぶやいた。