海外と日本の違い。ファッション事情を語る
カナダに住み始めて数年。カフェでぼーーーーっとしている時、その辺をぶらぶら歩いている時、近所の海でぼーーーーっとしている時。必ず思うことがある。
「ファッションがすごいなぁ…。」
この「すごい」には、たくさんの意味がある。
- 寒くねぇの?!
- なんであんな適当なジーンズとTシャツだけでめちゃめちゃキマるんだ
- えっベビーカー押してるけどあれ、おかんなの?
- 露出が日本の二倍だな、おい
- 年相応(という凝り固まった固定概念)とかは関係ないのね、素敵
- なんでみんなそんな格好いいんだ
秋なんてすっ飛ばして9月にはもう冬並の気温のカナダでは、ヒートテック二枚重ねが定番になっている私だが、結構みんな薄着だったりする。極寒の日でも、ダウンの下は半袖なんて人もいる。なんだろう、毛穴の数とかなにかそういうものが根本的に違うのだろうか。明らかに、体感温度は違うのだと思う。
日本と違うのは、あまり流行を皆が皆追っていないところだと思う。もちろんその時期の「流行」はあるけれど、一部の若者だけが夢中になっているだけで、若い子でもすごく個性を持って流行に流されていない子のほうが日本よりも圧倒的に多く感じる。
ジーパンとTシャツの人が多いのは、体型やら雰囲気で、それだけでもかっこよくキマるからだろう、と個人的に思う。
「母親」という概念を覆されるのが、彼女たちの「夏のファッション」である。
すんげぇ丈の短い短パンに、ブラがチラ見えする、あるいはタニマがぶりっと見えるトップを着ていたりする。理由は単純、暑いからである。不思議とそこにあまりイヤラシさは感じない。なぜだろう。
これって、日本ではあまり見ない光景だと思う。もちろん若い母親たちでおしゃれな人たちもたくさんいる。だけど、みんなどこか「母親」というのをどこかでは意識して服を選ぶんじゃないだろうか。日本では、「子供がいるのにあんな格好をして」なんて言われがちじゃあないだろうか。もちろん、良識は大事だとおもう。「ありのままの自分」をどこでも披露するのはいかがだと思うからだ。どっちが良いとは言えないか。
そんなふうに、どこか日本とは「肌の露出」に対しての概念が少し違う。日本で露出が多いファッションというのは、〇〇系の服装などとカテゴリー分けにされる。
しかしここでは何系であろうとサラッと肌の露出を演出しているおしゃれな人が多い。もちろん、「なにそれやりすぎ」の人もいる。が、「ただの露出」ではなく「素敵な肌の魅せ方」を知っている人が多い気がする。
ちなみに、ジム帰りのゲイのお兄ちゃんたちは胸元がギューンと開いたタンクトップで両乳首が丸見えでよく歩いている。
「年相応」という固定概念も、ここに住むようになりひっくり返ってしまった。
みんな、それぞれの好きなファッションを年齢に関係なく楽しんでいるように思う。
日本では「〇〇歳からのコーディネート」なんて文字がバーンと載った雑誌などが目立つ。それほど、「年齢」を気にして生きているのであろう。というよりメディアが気にさせるように仕向けているように思う。
まず、ここの人たちは年齢をあまり重要視していない。「何歳ですか」なんて初対面で訪ね合うことも少ない。
日本でよく聞く、言われる「もう若くないから」「もっと年相応の服でも着れば」はここで言うと変な顔をされてしまうかもしれない。
よって、同じ服屋さんの中買い物をしている人たちの年齢はさまざまだ。
日本の店で買い物している時は若い客しかいないのがあたりまえの光景だった。
おしゃれな柄シャツを着こなすおじさまや、カラフルなファッション、若者の服をシックに着こなすおばさまたちはとてもカッコいい。
とにかくそれぞれ素敵だ。なぜだ。
もちろん、私は日本のファッションも大好きだ。色々なお店があって楽しいし、日本人の体型にあった豊富なデザインがたくさんある。でも、あまりにも皆似たようなものを身につけすぎじゃないかと思ってしまう。
きっとそれはファッションだけじゃなく、髪型やメイクまでも「流行」に合わすからだと思う。みんな同じに見えてしまう。
そしてそのデザインは来年には流行遅れで着れなくなったりする。まんまとメディアの思惑通りなのである。
カナダでも、「日本から来たばっかりなんだろうなぁ」と遠目からでも日本人だとわかる。服装と髪型でわかる。本当にみんな似ている。
カナダではみんな髪型やメイクが違う。だから同じジーパンとTシャツでもそこには「個性」が含まれている。
めまぐるしく流行の変わっていく日本にこの間帰国した時は結構ドキドキした。私だけ「流行り遅れ」になっている気がしてしょうがなかった。きっと誰も見ていない。しかし小心者の私は急いで流行りのセーターを一枚買ってしまった。
流行りを追うよりももうちょっと、本当に好きなもの、体型に合ったもの、好きな髪型、なんてのを重要視すればいいのになぁ、なんて思うのである。