海外に来てティ○ダーをフル活用する日本人女子たち
そんな出会いならやめとけば?
最近ではすっかりみんなの日常生活に馴染んでいるティ○ダー。日本ではどうなんだろうか?みんなスマホの中で会ったこともない男たちの写真を次々とスライドさせて相手を探しているのだろうか?ここカナダでは、すっかりと浸透してしまっている。
日本人の女の子たちも、フル活用している。ワーキングホリデーで訪れ、仕事よりも先に男探しをしている子もたくさんいた。
彼女たちとこの類の話になり、私が「危険じゃないのか」「セックス目当てじゃないのか」などと質問すると、返ってくる答えはだいたいこうだ。
「写真もプロフィールも載ってるし。」「紹介してもらうとか、ナンパされるのとどう違うの?」「出会いは出会いでしょ。」
なるほど。そうなのか。そうかもしれない。インターネット上で会う男のことをどんな危険なやつかわからない、というなのらバーや道でナンパされる男たちだって一緒じゃないってことだ。もちろん彼女たちの言い分もわかる。
だが、私ははっきり言って、嫌いだ、ティ○ダー。
だいたい、海外にはそれぞれの文化の違いがある。言葉の壁もある。そんな場所での人間関係は、特にもっと警戒してほしいと思う。
ティ○ダーで出会い、怖い思いをした日本人の女の子の話はよく聞く。
「初めて会った日にカフェでお茶をして、このあと家に来ないかとしつこく言われた。しつこく断ったら「じゃあなんでティ○ダーに登録してんだよ!」と罵声を浴びさされ終わった」
「なぜかご飯もバーでのお酒も奢らされた。」
「出会って付き合うことになり、結婚を考えていたけど実はずっと二股されていた」
そんな目に遭っても、次の出会いをまたそのアプリで探す。なぜだ。
英語力を伸ばしたい。現地の人と付き合いたい。そんな気持ちはわからないでもないが、英語力も恋人も、そんな簡単に手に入るものではないじゃないか。簡単に手に入ったとしても、そんなものは簡単に消えてしまう。そういうふうにできているのだ。
英語力を伸ばしたいなら、お金を払って学校に行けばいい。費用を抑えたいなら、きちんとしたカンバセーションクラブに通えばいい。参考書で勉強すればいい。
「現地の人と付き合って、英語で話すのが英語力を伸ばすのに一番の近道」
みんな口を揃えてそういうけれど、参考書を使い単語を一日何個か覚えて友人と話すのだって近道じゃないか。話し相手が恋人である必要はまったくない。手をつないだりセックスをしなくても、英語は伸びる。
もちろん某アプリで出会い、結婚したケースもある。でもその女の人はある意味強かった。どうしても海外に永住したかった彼女は外国の人と結婚すると決めやってきた。アプリで出会った人何人かと同時に付き合い、誰が一番将来性があるかを厳選し、容姿や年齢は気にせずにひとりを選んだ。そして結婚し、子供を産んだ。
そのやり方なら、もちろん某アプリは有効活用できるのかもしれない。彼女は自分の目的を遂行するために、そのアプリを使いこなしたのだ。しかし、いったい何人の女の子がそんな固い意志をもち、数ある男に垂らした釣り竿からいちばん消し財力のある男を釣り上げることができるだろうか。
ほとんどの女の子たちは、もっと普通に恋に落ちてしまうのではないだろうか。そんな子たちに、はたして某アプリを使うことが危険じゃないと言えるのだろうか。
なぜ危険なのか
とにかく簡単すぎる。先程も言ったように、指先ひとつで数ある写真をスライドさせ、気に入った人にマークをつけていく時点で違和感を感じる。さらに、反対に、数えきれないほどの知らない男たちが、自分の写真やプロフィールを見ていると考えるとよりぞっとする。選ばれたくもない。気持ちが悪い。
しかも言葉もろくに通じず、文化の違いがある国でそんなふうに知らない男と会うなんて、鳥肌が立つ。身の危険を感じずにはいられない。
そんな感覚はもう薄れてきてしまっているのだろうか?
上に書いた、アプリを使って男と出会った日本人女の子たちの話だって、言葉と文化の壁があるからこそ起こりやすい出来事じゃあないだろうか。
日本人は愛想がいい。場の雰囲気を壊さないように空気を読もうと必要以上に努力する。断るのも苦手で、曖昧な返事をしやすい。そんな日本人の失礼のないように、という謙虚な姿勢は、他国の人には読み取ってもらえないほうが多い。さらに、相手の言っていることをいまいち理解していなくても返事をしちゃったりする。もしかしたらとっても大変なことにYESと答えているかもしれない。
だから、いともたやすく相手に間違った認識をさせてしまう。決してこちらにそんな気はなくても、「自分だって家に来たそうだったじゃないか」「ずっと笑顔だったからその気があると思った」と、こちらの言動で思わせてしまうことも多々あるのだ。
利用もされやすい。英語があまり話せないとなると、相手が悪い人間なら馬鹿にしてくるのである。その国の言葉がパーフェクトに話せないからって馬鹿なわけでは決してない。でも、そんなレイシズムを持つ人間はたくさんいるのだ。言葉だけでなぜか自分のほうが偉いと思い込み、どう扱ってもいいと思うやつは、金を支払わせたり暇つぶしのための女として連絡をよこしてきたりするわけだ。
実際にこうゆう出会いから痛ましい事態に発展してしまった事件もあるというのに、彼女たちは自分なら大丈夫と思い込んでいるのだ。
他に楽しみを見つけることが結果いちばん良い
なぜみんなそんなにそのアプリに夢中になるのか。というよりも、なぜそんなに知らない男に出会うために必死なのか。
きっとみんな暇なのだ。それだけ言うと聞こえが悪いかもしれない。
英語を習いたくて焦っている、友達がほしい、アプリに夢中になる背景には色々な思いがあるのだろう。
しかしそんなアプリをダウンロードする前に、考えてもみてほしい。自分が一体何を求めて海外にやってきたのか。変な男たちに顔写真を公開し選んでもらう為ではないはずだ。
学校や職場、目の前のことを一生懸命がんばってほしい。なんでもいい。習い事をするとか、趣味のサークルを見つけるとか、感じの良いカフェやバーに行くとか。充実した毎日は、向こうからはやって来てくれない。自ら作るのだ。職場や学校でがんばっていれば、同じようにがんばっているいい人と仲良くなれるかもしれないし、恋に落ちるかもしれない。サークルで、同じ趣味のとっても素敵な人とかもしれないし、いつもカフェで出会う気のいいお兄ちゃんとかもしれない。
「インターネットで出会うのとどう違うの?最初は知らない同士なのは一緒じゃん。」
と言われそうだが、実はぜんぜん違う。あなたががんばっていたり楽しんでいるのを近くで見ている人は、あなたのことをもうちょっと知っている。認めている。少なくともアプリの中の男たちよりは、敬意を持ってあなたに近づいてきている。
類は友を呼ぶのだ。輝いているひとには輝いている人が近づいてくるし、適当な人間には適当な人間しか近寄ってこない。
「この人どう思う?」とカフェでティ○ダーの画面を見せ合う女の子たちを横目に、どうやって説明すれば伝わるのかを今日も勝手に思索しているのである。