世界の真ん中で、漏らした話
タイトル通り、今回は漏らした話なのだが、なぜ私はこんな恥でしかないことを書いているのだろうか。実際、書き始めて二度消した。
こんなことを人に話したことはないに近いし、(絶対的に笑い飛ばしてくれることがわかっている友人にはすでに話を投下させてもらった。)むろん話す必要なんてないのだが。やはり人は誰かに秘密をぶちまけてしまいたい生き物なのだと思う。
とにかく、よければ聞いてほしい。
それはまだ私が二十歳だった頃に遡る。お察しだろうが、ハタチの小娘のメンタル状態は、到底「うんこを漏らしてしまった」なんて事実に打ち勝てるまで鍛えられてはいない。
しかも元彼氏と一緒にいたときだ。自分自身を殺めてしまいたいくらいの心のざわめきだった。
場所は留学できていたとある外国。初めての海外、この頃私は自分がまるで世界の中心にいるのだというほど外国にいるということだけで心浮きだっていた。
元彼氏はというと、ワーキングホリデーでこの国にやって来た。その時点で別れてしばらくたっているので言葉通り元彼氏なのだが、私達の絆は深かった。元恋人同士という枠を越えて、仲のいい友人同士でいられるいい関係だった。
彼は語学学校に通っていて、毎日大量の宿題を抱えていた。私ももちろん英語を勉強するとうい課題を毎日自分に課していたので、私たちはそれらをこなすために一緒にカフェやら図書館やらで時間を過ごすことが多かった。
その日もカフェにいた。そりゃあもう、洒落たカフェである。
必死に勉強しながらもふと、「えっ、ちょっと私、もしかしてカッコイイんじゃない?こんなオシャレなカフェで英語の本を読んでるなんて…!」
実際はカッコイイなんてもんじゃあない。小学校低学年向けの薄っぺらい本を、いちいち辞書を引きながら必死で読むも全然ページが進まないのだから。
今思うとそんな脳内お花畑、調子にノリにノッている私に、神様が
「気を引き締めたまえ」
というサインをおくったのかもしれない。
この数分後、私はついに人生で初めてトイレ以外の場所でクソを漏らすのだから。
お腹の調子が特別悪かったわけではない。
それは突然だった。
それまで悠長に英語の本を読んでいる(解読している)私に、唐突に腹痛がやってきた。そこからはもう早い。
「あ、もうでる、無理」
身体がそう訴えてきた。
その店にひとつだけ備えられているトイレには、ちょうど元彼氏が入っている最中だった。
「ちょっと待って、もうすぐお便器ににありつけるから」
私の脳みそは身体中にそう発信した。
身体 「え?ごめん、ほんと限界」
体中から血の気は引き、冷や汗が溢れ出ていた。そんなギリギリの精神状態で、私は携帯電話を手に取った。
さっきまでテーブルの上にあった彼の携帯がない。と、いうことは彼はトイレに携帯を持ち込んでいる。と、いうことはあれか、奴も大きいほうの用たしかもしれない。暇つぶしで携帯をいじっているのか。長引くな、まずい。
と、いうことは電話したらでるな。緊急事態だ、恥を忍んで「お腹が痛い」と伝え、さっさとトイレを明け渡してもらおうじゃないか。
私「もしもし、ごめん、お腹が痛くて、、、」
元恋人だった男「え?わ、わかった、もうちょっと待ってて」
これは間違いなく大だ。
あいつ…..!!!!
何も悪くない元恋人だった男に憎悪まで湧いてきていた。そのくらいの危機だったのだ。
身体「ねえ、もういいでしょ?!ねえ、ねえ、ねえ!!!!!」
ここで私は立ち上がった。じっとしていれる余裕はもうなかった。動いて、少しでも身体をごまかさないといけない。
そして考えた。「他のトイレに走るか?」
しかしここは異国の地。日本のようにコンビニがあちこちにあるわけではなく、あったとしてもトイレを貸し出しているところはない。
頼れるのは他のカフェだ。トイレに入り、コーヒーを買えばいい。無駄な出費だがこれには代えられない。
それかホテルだ。ホテルなら誰が出入りしてもおかしくないし、トイレがあるばずだ。
キョロキョロとガラス越しに見える街並みを見渡す。
周りの視線が集まる。当然だ。突然立ち上がった顔面蒼白の女が次は挙動不審な動きを始めたのだから。
「無、い」
残念ながら、その店の周りに走って行ける県内でのおトイレは見当たらない。脳みそ 「だめだ…」
脳みそは身体に信号を送ることすら諦めた。
その瞬間、青いワンピースに包まれた下着に、ぬくもりがじわりと広がった。
身体 「ああ、助かった。すっきり、冷や汗止めよ」
それと同時に冷や汗、鈍器で殴られているかのような腹の痛み、気分の悪さは嘘のように引いてなくなった。
元恋人はすっきりした顔で席に戻ってきた。
私は微笑みながら「ごめんね、急にお腹が痛くなっちゃって。もう大丈夫」
とそのままトイレにゆっくりと向かった。
さようなら、今までの私。こんにちは、一皮むけた私。
もう用のない便器を目の前にしながら、私はとても冷静だった。
この日、間違いなく私は一歩大人の階段を上がったのである。